第8章 未来を予言する
rashita.iconこの章には何が書かれているか?
テクノロジーの社会的インパクトの予測は非常に難しい
エンジニアは工学の人であり、社会学者や人文学者ではない
4つのテクノロジーの例
個人用ヘリコプター
皆が自分専用のヘリコプターを持つと予測されていた
原子力発電
メーターで測るには安すぎるようになると予測されていた
実際は、送電のコストやプラントの維持に大きなコストがかかる
原子力は、ひとことでいうと安全ではないが、それは原子力だからという理由からではなく、プラントが大きすぎて扱いにくいから
コンピュータ
数台あれば十分という予測
真空管という想定があった
何をするものなのかという理解のズレ
計算する機械だったものが、情報を操作する機械へ変わった
電話
各都市に一つずつ設置されたらいいという予測
社会とテクノロジーが両方適応しあっていく
その変化には時間がかかる
相互理解の期間が必要
rashita.icon個人が情報ツールを使うときにも同様のことが言えそう
テクノロジーが受け入れられるまでには時間がかかる
大きな変化というものには、それを支える社会的基盤の大幅な改変が伴わなければならない
テレビは、コンセプトのスタートから一般的な利用までに70年ほどの時間がかかっている
航空機も、1800年代に動力による飛行が試みられ、客を乗せた定期便が始まるのは1920年代になってから
ファクシミリは、1843年にアレグザンダー・ベインが特許をとり、1907年にドイツ、1025年にアメリカで商用サービスが開始している
どれもテクノロジーの基盤が生まれてから、社会に広がるまでに相当の年月を要している
rashita.icon現代でも同様だろう。ChatGPTなどの生成AIはどうなっていくか。
いくつかの予測
デジタル情報
デジタル情報は増えていくだろうが、万人へのアクセスが担保されるかはわからない
特に著作権の問題が大きい
rashita.iconこの指摘はまったく正しかったと言える
テクノロジーのアフォーダンス
何かをやりやすくするのと同時に別の何かを難しく、あるいは不可能にしてしまう
rashita.icon単なる上位互換とはならない
出版について
情報の提示の形に柔軟性がある
ただし、素材を利用する側がいくらか頭を使うことになる
rashita.iconこの点が、教科書・入門書的な情報と、「あなたの好きな順番で読んでください」的自由さとの不整合をもたらす
自分の好みのものだけを追いかけられる
個人にとっては好ましいが、社会にとっては違うかもしれない
ジョン・シーリー・ブラウンによる指摘
文化を束ねる役を担うものの一つに、皆が同じ新聞を読み、同じ番組を見る、ということがある。
それによって、共通の話題ができ、共通の構造が各人の生活に生まれる
rashita.iconたくさんの人が集まってくる都市部においてはより顕著にその重要性が高まるのではないか
教育
体験と内省のバランスはどうなるか?
エンターテイメント
データが使われることによってコマーシャルの強化が心配される
魅力的なものがあふれ返ることで、どんな変化があるだろうか?
通信
コミュニケーションの作法が変わってくる
仕事場
社会的なインタラクションの欠如が心配
テクノロジーが問題となる領域
プライバシー
アクセスへの社会的なアンバランス
ソシオパス
人間同士のインタラクション
ハロルド・コーエンによるアーロン(Aaron)という芸術プログラム
アートを生成できる
VR的なものの成功例
フライト・シミュレーター
シミュレーションによる体験は、認知のための威力ある道具になる可能性を秘めている
体験と内省の両プロセスをサポートしている
医療用シミュレーター
手術のシミュレーションをすることで、体験が得られるだけでなく、さまざまな試行錯誤や分析も可能になる
VR的なものの影響
自由自在に姿を変えられるとして、リアリティーはどこにあるのか?
『リアリティ+(プラス) 上: バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦』の問題提起と同じ
己の真の内的な姿を投影させられる
欠点のある現実と完璧である夢や希望のどちらがより真実と言えるか。
当人が投影したいものがそのまま実現されること
rashita.iconその直接性、スムーズさに問題があるかもしれない
日本のカラオケは、そうした技術の先駆け
代わりに手紙を書いてくれるシステムも出てくれるだろうという預言
rashita.icon実際ChatGPTはそれをやってくれるだろう。
原理的には、代書人と同じ
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
最終的には、詰まらない仕事から人間が解放される
システムがプロセスのインタフェースになる
文章を書きたい→システムの補助で作成→受け取った文章をシステムが読解→要点を読み手に伝える
こういう流れができたら、人間は起点と終点だけに入ればよくなる
rashita.iconこれが好ましいと言えるのか
rashita.icon現実的にこういう形になっていないとしたら、それを阻害しているのは何か
未来を考える方法としての物語→特にSF
プロトタイピング
rashita.icon実際に現代ではもう存在している
『SFプロトタイピング: SFからイノベーションを生み出す新戦略』
脳と脳とを接続する新しいテクノロジーの可能性
人間は、非常に広い範囲の恣意的で複雑な筋肉の動きや感覚事象を生みだしたり、符号化することを身につける能力がある
たとえば、タッチタイピング、ピアノ、あるいは文字を読むこと
ただしかなり長い年月が必要
こうした能力があることを考えると、脳と脳を何かしらの形で接続して新しいコミュニケーションが行えるようになる可能性はある
しかしそれは、テレパシーとしてイメージされるようなものではなく、あくまで新しいコミュニケーションの確立になるだろう
社会的な共同作業のためのテクノロジー
たとえば
各人の作業を同じ画面上に重ね合わせる→rashita.iconホワイトボート系のツールではごく普通
書道の先生が、生徒の手に自分の手の画像を重ね合わせる
rashita.icon伊藤 亜紗さんの『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』を思い出した
CSCWという分野
ただし、テクノロジーが譲らないと、個人は状況全体のコントロールを失ってしまう
企業などで導入されるこうしたツールは、もっとも恩恵を得る人たちと、それが機能するために仕事をしないといけない人たちが別々になっている
だから、導入はされるが、運用で躓いてしまう。
新しいテクノロジーを使うよりもそれについて読むほうが楽しいのはなぜか?
想像のほうが現実より生き生きとしているから
想像の中には、不愉快にさせるものはないし、小さな傷すらない。現実につきものの遅れや垢ぬけないところがないのだ。おまけに、私の想像は完全な三次元の音と映像からなり、フルカラーで、ざらつきやノイズもない。心には物理的な限界がないのだ。想像が与えてくれるマルチメディアのハイパー・インフォメーション空間は、どんな現実よりもすぐれている。私は、心の中では間違いは起こさないし、あやふやなことや混乱を感じることもない。望むものそのままを見いだすことができるのだ。現実のテクノロジーではそうはいかない。
実際に使ってみると、インタラクティブなメディアは、さまざまな意識的操作を要求し、スムーズに使うことはできない
何が問題なのか?
ソフトウェアのプロデューサーたちが文芸上のスタイルをまだ身につけていない
物語をどう語るのか、深い内省的な題材を適切に提示するにはどうすればいいか、といったこと
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